2012年8月15日水曜日

日々の備忘録 68

こんにちは 久しぶりの更新になりますね。

今日は終戦記念日ですね。勤め先は靖国神社まで徒歩で行ける圏内のせいか,機動隊や警察の方々が朝早くからごったがえすくらい出動されてます。
普通の年であれば,例年見慣れた光景かもしれませんが,今年は近隣の国のいろいろな攻撃があるせいか,警備も数段上がっているような感じがします。

さて,お隣の国の攻撃的な姿勢は,なかなか日本人にとって「?」なことが多いです。
そんなに日本を攻撃して何が楽しいのかよ!,まだ震災の後遺症ぜんぜん残ってるのに!って感じですよね。



感情論はさておき,実は僕は隣国の学生さん24歳くらいかな,友人がいます。
会社の仕事がらみで知り合ったのですが,最初メールでやりとりしていたときは,てっきり日本人と思っていました。
とても日本語の記述が上手いんです。普通に日本語でやりとりできたので本人とお会いするまで「外国の方」とは分かりませんでした。

で,彼(通称Gさんにでもします),Gさんが日本に興味をもったのは村上春樹のノルウェイの森が最初だったということです。

隣国では日本の本が自国で水面下で翻訳されて売ってることは結構あるらしく,その後,その本を原文で読んでみたいというのと,たまたまバイトで知り合った方が日本でも商売をしているらしく,縁があって,度々日本に来るようになっと言っていました。
(彼女がいて日本に住んでると言ってましたね:笑)

こんなに親日の彼ですが,彼は今,兵役中です。
今年,休暇中に数日,こちらにやってきました。
ルックスは,う~ん,一言で言えば牧歌的な感じ?(笑)でも親しみやすい笑顔。

日本でいえば国内トップ2か3くらいの大学院生なんですが,就職はぜんぜん無いって言ってました。
「俺くらいでも大企業には誰も入れません。うちのゼミで大企業に行けたヤツいませんもん。だからよく,サムソンとかヒュンダイとかトップエリートの宝庫って言ってるけど,どこにいるのそんな学生?って感じですよ。それはもう口実で,それくらいスゴイ学生をほんの少ししか採用してないか,あるいは全然採用ないんですよ。みんな就職困ってるよ」

で,いまのうちに兵役行って,すこし就職状況がよくなるのを待ってるようです。そういう学生さんは結構たくさんいるって言ってましたね。

彼の口からは日本に対する嫌悪の話はいっさい出なくて,むしろ,日本のアイドルとか,あの本面白いよね,とか普通の若者が口にするような無邪気な話しか出てこなくで,そういった日本への嫌悪は一部の過激な報道なのかな,とも思いました。

でも,彼に思い切って「そんなに日本びいきだと,誰かに攻撃されたりしない?」と聞いてみました。

「あ~,ありますよ少し(苦笑)。友達減ったよ(苦笑)」

「何人くらい減った?」

「7人くらい? お前とは口きかん,って言われたよ(苦笑)」

う~ん,やっぱ学校とかで日本の雑誌とか本読んでると,目立つときもあるのかな?
彼,いつかは日本でも仕事やりたいと言って,日本の資格試験とかも興味あって,日本語の教科書とかで勉強してるんです。

だから余計に目立つのかな。



仕事がら勉強の中身に興味があったので少し聞いてみると,
やっぱ攻撃の国だね。
試験の出題の仕方が日本とかなり違う。。。

日本だと,
「A+B = C, では, A+D だと何になります?」
的な問いかけが多いと思います。
(スタイルの話です)

これが隣国だと
「A+B = C, では, Aに何を足すとDになります?」
みたいな問い方が多い。

概要を言うと,先に結果を教えておいて,それに合う答えを聞く,という形が隣国。
日本だと,問題文が長ったらしくて最後の最後に問いの文が出る。
このやりかただと,問題こねくりまわして出題者も自分の設問ミスに気づかずに,答えが複数出て,採点除外が発生することもある。特に難関試験とか(笑)。

隣国はやっば違います,答えを先に教えるということは,最短距離で答えに行ける方法だけを繰り返し練習させるんですね。
サッカーに似てるな。。。
ボールこねくりまわしたあげく,意図しない方にボール出して,シュートがダフっちゃうとか。
パスの出し先の選択違うだろ,みたいな。
日本サッカーの悪いところ。

やっぱお隣は,こんなところでも目的を明確にさせるような訓練が多いんでしょうかね。



ここだけの話,兵隊さんの日常も少し話してくれました。

「そんなに中身を話してくれて大丈夫?」

「大丈夫,国では俺以上にみんな暴露してるよ(爆)」

そうか~,若い層の不満はやっぱすごい溜まってるんだな。

自国のガス抜き代わりに日本を攻撃している感じもしないでもないからな。近年の動きは。。。


ただね,やっぱ日本が好きなだけに,日本の欠点もするどく突いてましたね。特に防御面で。

「日本って,地図を本屋で売ってるでしょ。どこでも買える。それって普通はありえないよ。
地図って国家機密だよ。自国の軍の施設の場所わざわざ地図に載せる国ないよ。
あと,最近はみないけど,電話帳(タウンページとかのことを言ってるらしい)を無料で配ってるでしょ。ありえないよ,それ。
電話番号わかったら場所によっては攻撃されるよ。」

そうですか,そうですね。島国だと,他の国に攻撃されるかも?っていう感覚がひどく鈍くなってますよね。。。


なんか,耐えることが美徳のように我々は思っていることが多いですが,言われっぱなしっていうのもね。。。
どうなんだろ,WWFプロレスみたいに筋書きがあって,今は日本がやられてる役に徹してるんだろうか。。。
(水面下ではちゃんとギャラもらってんのか)



夕暮れになって,彼に「今日はこれからどこ行くの?」
と聞いたら,

「神田の本屋街に行って,アイドル雑誌いろいろ友達に頼まれたの買ってくる(笑)」
と無邪気になって言う。

「ところで,神田ってどうやっていけばいいの?」

「な! だから地図売ってると便利だろ?(笑)」



2012年7月8日日曜日

日々の備忘録 67

日々の備忘録 67


正直に言いますと,僕は原子力に対しては推進派でも反対派でもありません。
ただ,福島に住んだこともない,行ったこともない人々が,例えば福島をカタカナで表記された記事を投稿してみたり,放射能に関する記事(信憑性があるのかどうか不確定なところからリンクしてきたような)を投稿されたりすると,気が滅入るというか,自分の親や親戚が悪く言われているような,そんな不快感がある,というのが今の心境です。

いろいろなところで原子力発電の悪口が聞かれます。

ただ,一方で別の観点からの話をしますが,世の中で経済が好況という場合,なにか経済を刺激する時流の出来事があるはずなんですよね。
たとえば,ITバブルとかの後でブログのブームとかアフィリエイトのブームとか,ネット証券ブームとか,・・・
そういうのがあって一定期間,景気がよくなって,わっとそのフォロワーが生まれて,商売が生まれる,という感じですよね。
大昔は,戦争を行うことによりその後の復興景気があって景気がよくなるとか。

今から40年以上前に,たとえばこれからの日本の資源を考えると,石化燃料の発電よりもコスト・パフォーマンスに優れた代替物があれば,それを使おうじゃないか,という考えがあっても不思議ではないですよね。
それが原子力だったということですよね。
そこで,技術的には発電まではできるということが判明している。
燃料になるものも,まだまだ地球上にある,と。
ただ,その後の廃棄物の処理方法はまだ発展途上である,と。
でもこれから40年以上後の将来であれば,その頃は21世紀になってるだろうし,新たな技術も開発されているだろうから,今はとりあえず発電できるところまではやってみよう,と。
それで,今後の技術革新が生まれる度に,投資を呼び込んで,景気の発展につなげよう,と。

そういう考え方があっても不思議ではないと思います。
そう考えると,当時,原子力を思いついた人の功績は決して悪いものではないと,個人的には思います。
技術は絶えず進歩していくもの,と考えますよね。普通は。


ただ,21世紀になってもそこまで技術は発達していなかった,という点と,
その旨み(既得権とか)を独占しようとしている人々がいた,と。
そして,どうやら危険らしいんだけど,今の時点では不都合は感じていないので,まあ,まだ大丈夫だろうとちょっと慢心していたわれわれ国民と。。。

そう考えると,原子力を(原子力だけを)悪者にまつりあげるのって,なんか違和感があるんですね。

反○○,とか,脱○○,はいいんですが,その代わりに何をしていくか?ですよね。

自分が何もやっていないことを棚に上げて申し訳ないですが,

「○○でない」「Not ○○」
を証明するためには,
「○○ではないのであれば,△△である」とか
「○○と同じくらいの効果が,××には含まれる」とか何か対抗要件がないと論理展開できないですよね。

ただNoと言うのではなく,代わりに何をするのか,何を得るために何を我慢するのか,を考えるのが難しくでしんどいんですが,考えないといけないですよね。

「○○をやめます」「××をやめます」・・・
というないないずくしで,そういうマニフェストを掲げた政党が景気をよくしてくれたかというと,そうでもなかったというのはよく分かりましたし。
次に何をすべきなんでしょう・・・

言うだけは簡単なんですが。。。

2012年3月30日金曜日

日々の備忘録 66

日々の備忘録(1年たっての続き)


どなたかは分かりませんが,いつもこのサイトをご覧になられていらっしゃる方がいるようで,ありがとうございます。

日々それでも地球は動いています。
家族や親戚も生活はしていかないといけません。。。


ここ最近の自分としては,やはり親の老後設計をどうするか,ということを中心に考えています。
もちろん自分の生活の糧である日々の仕事はしていかないといけないので,会社が終わった後や休日に,親の仕事の状況を確認し,今後の計画について自分の考えと父の考えていることのすり合わせをしている,という日々です。

親は親で生活をしていかねばならないのですが,年金もそんなにたくさんはもらっていませんし,父には事業で作った借金の返済もあります。
そんな中で,震災の風評被害などもあり,事業の遅れや返済の遅れなども重なっている,という現状ではあります。
ここらへんの流れについては,また別の機会にでも顛末を書ければとは思っていますが,田舎ですと親戚間の難しいゴタゴタや,昔の口約束が反故にされて誰かが被害を被ったりしたこと等々,僕の関知していない時代のことをいまだに引きずっている問題などがあり,自分は遠くから眺めているだけので,その温度差というのがあまり分からないのですが,「その恨みつらみをどこまで引きずるんだろう?」という心配事が少なくありません。

そういった,以前からの確執と,今回の震災が重なって,余計に冷めた関係になってしまった親類というのも,またあったりします。

とても難しい問題です。


もうすぐ4月ですね。


従兄弟の家族が,4月から首都圏に引越してきます。
お子さんの大学進学と同時に家族ごとこっちに来るそうです。
今住んでいる共同住宅は,震災の影響で,そろそろ補強工事をしないと住めないらしく,それであれば一緒に引越しを,と考えたようです。

もちろん親の仕事が決まりませんと引っ越しもできないですし,お子さんは他にもいるのでその受け入れの学校探しとか,いろいろ難しい決断が要ったことと思われます。

いまはその従兄弟とは連絡を密にはとっていないのですが,それぞれの選択した道を正しく安心に進めるよう,陰ながら祈っています。

2012年3月16日金曜日

日々の備忘録 65

1年経って(日々の備忘録65)

黒澤明監督の代表作「七人の侍」。
若い方々はタイトルくらいはご存知かもしれませんが,最初からご覧になるということはあまりないかもしれませんね。
野武士にしょっちゅう襲われる貧しい農村。
そうだ,用心棒の侍を雇って退治してもらおう!

ご褒美は「白い米を腹いっぱい食べさせてやること」

道行く侍たちはそんな貧農の願いなど,ほとんど取り合わないのですが,1人,2人と意気に感じる侍達が現れて,,,といった感じで始まります。

農村にとって白い米は,自分達が食べる食料ではなくて「商品」でもあり「現金」と同じなんです。

戦いのシーンが凄い,とよく話題になりますが,時代設定,ストーリー展開の練り込みと,農民と武士の間でゆれる菊千代(勝新太郎さん)の心の動きもぜひ見ていただければと思います。


それと,今でも脳裏に焼きついている特撮「帰ってきたウルトラマン」。
僕はたしか幼稚園くらいの頃でしたでしょうか。
特に「怪獣使いと少年」のエピソードは忘れられません。。。
ネットで検索していただければ,いろいろな方がコメントされているので,特に申しませんが,
いつも「宇宙人」呼ばわりされ,いじめに遭っている少年が,病に伏したメイツ星人に食べさせようとお粥を作るんですが,いじめっこ集団に,そのお粥をひっくり返されるんです。
むごいです。
でも,日本人ならこの感情,みな心に眠っている何か,きっとこの回を見た人なら何かが心に刺さります。


故郷の食べ物や野菜を棄てる人,いますね。

実際,食べたくないという感情,わかります。

今回の風潮の中でも,
「へ~,福島のおみやげ?遠慮なくいただくよ!」と言って喜んでその場で食べてくださった方々もいれば,
僕のいない合間にどこかに「なくなっていた」こともありました。
僕に対して,何か悪意があるということではないのでしょうが,そういう気持ちが芽生えることは,個人の努力ではなんともしがたいです。
正直,無力です。


お袋は,もう年もいっているせいか,線量とかのことなんかお構いなしです。
「歳も歳だし,何食べても別に変わんないよ」

故郷の人々は,よく田舎の食べ物を送ってくれたり,帰省の帰りにお土産を持たせてくれますよね。
そこに愛情こそあれ,悪意のかけらはありません。
「こんな時勢に,よくそんな無神経な・・・」
と,感じる方は確かにいる,と思います。

僕だって,家には幼児がいますから,食べ物に神経を使うことは否めません。

しかし,田舎の親や先人にとって,食べ物は「現金(財産)」と同じ,「生きる糧」であると教えられた世代にとって,食べ物を贈ることは「おもてなし」なのです。

そこに悪意はありません。

2012年3月15日木曜日

日々の備忘録 64

1年経って(日々の備忘録64)

僕の伯父の家は南相馬市にあります。
昔は原町市といっていました。いまでも駅の名前は「はらのまち」と言っています。
伯父は夫婦で開業医を営んでいました。
震災の前年に伯母は亡くなってしまったのですが,その葬儀で南相馬に行ったのが震災前の最後の訪問となってしまいました。

太平洋に面していて,水平に続く海岸線。
子供のころは防波堤がまだしっかり作られていなかったので,波は結構荒かったですね。
海水浴で伯父と従兄弟達とよく泳ぎに行きました。

結構,貝の殻がたくさん落ちてるんですよ。
貝って意外と角が鋭くて,僕は小3のとき,足の裏を深く切ってしまい,伯父の病院で4針縫ってしまったことがあります。

しっかりした防波堤が出来てからは,波が穏やかになり,子供達を連れていくにはいい海岸だなと思っていました。
わが子達もいつか連れて行こうと思ってはいましたが。

・・・・・・


発電所が出来たので見学に行かないか,と当時祖父から言われたのだと思いますが,僕はたぶん小学校入学前くらいに,発電所の見学に行ったことがあります。
当時は,幼児に近い年齢だったし,団体ツアーのような催しで行ったので内容はほとんど覚えていません。

2回目に見学したときは,小5くらいだったように記憶しています。
このときは原町の伯父従兄弟達と,個人的なつながりのある方の紹介で,見学者は我々だけ。
普段のツアーでは見れない建屋内部などいろいろ見せてもらったように記憶しています。

もらった資料など,小学生にはなかなか難解だったのですが,後でゆっくり見たところ,発電方法には,三つあって,水力,火力,原子力,とあり,イラストでは原子力は火力の仲間のくくりの絵になっていたのを見て不思議に思ったものでした。
当時は,蒸気の力でタービンを回すというところ(要するに水を沸騰させてうんぬんのところが火力の仲間だというくくりなんですね)まで理解ができなかったからなのですが,子供心にも「なんかもっとすごいやりかたで電気を作ってると思ったのに,なんか拍子抜けだな」と,生意気にも思ったものでした。
ただ,案内の方が「この4基をフル稼働すれば東北6県,ぜんぶくらいの電気量がまかなえるんですよ」言われたのが印象に残っています。じゃ,発電所ってどんどん少なくしていけるのか。。。と,子供の僕には,資源が少なくなれば発電所も少なくて済むほうがいいんだ,と,当時はそう思っていました。
それにしても,ここ東北なのに,建物の看板とかみんな東京電力って書いてあるけどなんで?という疑問は,そのとき聞きそびれてしまったのですが。
子供にはそういう大人の事情は分かりませんでした。


発電の方法や原子力の是非については,僕なんぞに意見をいう資格はありません。

僕にとっては不勉強極まりないですが,最近になって土光敏夫さんの本を読む機会があり,さすが石川島播磨ご出身なだけに,タービンの件はもちろん,これからの日本の資源,産業その他の将来についてを語っている本がさくさんありますが,「清貧と復興」という著書で,原子力発電にもかなり熱く語られています。
すでにこの頃から,安全と危険と,それから導入後のリスクの分散についても頭をフル回転させていたのですね。

2012年3月14日水曜日

日々の備忘録 63

1年経って(日々の備忘録63)

支援活動,いわゆるボランティアの方々,本当に頭が下がります。
仕事を投げ出して活動されていた方もいらっしゃったと思います。
無償の愛という感じに近いのではないでしょうか。

ただ,最初はそのような大勢のボランティア,支援団体の方のご協力をいただいていましたが,たいていの方々(99%)は本当に,何かしたい,支援したい,という皆さんだと思いますが,勢いあまって違う方向に行ってしまう方もおられたのではないか,とも思います。

僕も,ある団体を応援しようと思って寄付などもしたのですが,どこらへんからでしょうか,「なんかこの団体,目指してる方向,これでいいのか?」と疑念を持つようになり,そこからは連絡をとっていません。

それは,ある理由からなのですが,文章ではなかなか伝わりにくいと思いますが,たとえば,震災の直後というのは衣食住,ライフラインの復旧とかがメインで,昼夜問わず本当に大変な中協力していただいたのですが,それがちょっと落ち着いてくると,地元で何かに困っている方向けのサービスを提供しようという社会活動的な方がちらほら現れます。
それはそれで普段でも忙しい中,地元にやってきてくださってありがたいのですが,そのサービス事業を,たとえば「無料」で提供することによって,元来そのサービス事業で商売をやっていた方のメシの種を,結果的に奪ってしまう,という現象もあるのかな,と僕は感じました。

ほんとうに極端なたとえ話ですが,被災した食べ物屋さんのすぐ隣で,そのお店が営業再開したにもかかわらず無料で食べ物をどんどん配ったりとか,ある程度ライフラインが復旧するまでは仕方ないですが,そこそこ生活できる状態になってきたところへ,割と大きなスポンサーを抱えて地元で無料サービスとかやってしまうと,かえって地元の方の復興の妨げになることもあるかと思います。

実際,そういったサービスをされたことによって,職が無くなる,あるいは給料に影響が出たという方がいらっしゃるかもしれません。
都心からわざわざ「復興」の御旗を掲げて,社会奉仕と称して地元の仕事を奪ってしまうというのは,なんだか解せない気持ちがしました。
もちろん,その団体もよかれと思ってしていることだとは思います。

が,twitterとかで,そういった団体の代表の方のコメントとかを読む機会がありましたが,政治家をバックにつけてでも東北に進出したい,とか個人的な感情をどんどんtwitterに書き込んでいたり,「私たちはいいことをしてるんですよ」とか声高に発信しているのを見ると,僕自身その団体にネガティブな感情を抱くようにもなりました。
そんなこんなで,twitterを見ると気分が落ち込むのでもうずいぶんとtwitterは見ていません。
自分がいいことをしている,ということを誇示したいという気持ちは十分わかります。
だって,他人から評価してもらえないのはさびしいですから。
言葉が適切でないかもしれませんが「地元の人が欲しがっているサービス」と「サービスの押し売り」はちょと違うんじゃないかな,とも思います。
なので,その団体にはかつてちょっとお世話にもなり,寄付もしていたのですが,いまはもうしていません。

ただ,あくまでもこれは僕自身の個人的な感情なので,こういう「オレが手伝いに行きます!」的な元気のいい若い世代はどんどん応援したいとは思っています。


地元の人の考え方を参考にするには,都心の大新聞とか雑誌の記事よりも,地元の方々のblogがとても参考になりますね。
(記事として書かれると,どうしても他者からみた東北の姿になってしまうので)
偶然,見つけた「ひまわりの種」というblogを書かれてらっしゃる女医さん,この方の日記は本当に参考になります。また,彼女がリンクを貼っているほかの地元のブロガーさんとかも地元の感情の代弁者だと思います。

SNSサイトでも,よく雑誌の記事とか新聞の記事をリンクで持ってくる方いらっしゃいますよね。僕もたまにやりますけど,もしやるのであれば,地元の新聞とか「地元」からとってきていただくと,また見方や考え方が変わるかもしれません。

2012年3月13日火曜日

日々の備忘録 62

1年経って(日々の備忘録62)


親戚の一部の家族では家に住むのが危険ということで,山形の旅館などへ自主非難する者も出てきました。
電話で少々話をしましたが,みな元気ということで一応の安心はしたのですが,浜通りの親戚へは連絡がつかない(というかこういうときは先方から連絡があるまでちょっと待ったほうがいい,という場合もあります。といっても未曾有の震災ですから,なにもしようがなかったといえます)日々でした。

僕の父母は,生まれてから今までずっと福島に居を構えていましたので,もう年も70,80を迎えつつあるので,いまさらこの家を引き払って。。。というのはまったく考えていませんが,親戚の一部では,かつては都会に暮らしていたが,事情で福島に戻ってきた家族というのもいて,そういった親戚の間では,いますぐにでも福島を出たい,という声も聞かれました。

その中で何を手伝えばいいのか,というのは正直難しかったです。

中には遠まわしですが,僕の家に当分住ませて欲しいという声も若干ありましたし,ただ僕も引越し早々で,かつ前の部屋はもう買い手がついていましたし,その他もろもろ事情もあり,なかなか難しい選択でした。

当面の何かの手助けになれば,と思い送金をいくらかしていましたが,別に感謝されようとしてしたわけではありません。
ただ,このような心情の中では,援助をしたことにより,かえって相手の感情を逆なですることがあるのだ,ということに気づかされました。

「あんたは,福島捨てた人だから…」

という声も聞かれました。

「捨てた」

要するに,福島出て行った人に私らの気持ちは分からんでしょ?

という意味です。

これはとても痛い言葉でした。いまも胸の奥にしまっています。
相手も,別に僕に憎悪の気持ちで言っているわけではないことは重々分かっているつもりですし,たまたま僕は福島で暮らさず都会に出てきてしまって,結果今でも居ついてしまっているわけなのですが,いろいろな事情で福島でずっと暮らすということを苦痛に感じている人がいるのも事実です。

震災がいろんな意味で心を閉ざす原因になっていることを痛感しました。

その親戚からはその後,お詫びというか気持ちのこもったお手紙を頂戴しました。
ただ地元で仕事をもっている親戚や友人達の方々の気持ちを考えると,
「頑張ろう」とか「元気出そう」とか,そういう簡単な言葉は出ません。


時間はちょっと経過しますが,

「猪苗代湖ズ」,っていますよね。

この曲を聴くと,どっと涙があふれるので,自分からは絶対に聴かないようにしてるのですが,
このバンドが出てきたとき
「あんまり余計なことしないほうがいいのにな…」

と正直思いました。

先般の親戚が僕にあびせた言葉のこともあったので,たぶん地元の人々でも,応援する人と,不快に思う人,がはっきりと分かれると思ったからです。

メンバーの箭内道彦さんのインタビューを最近読みました。
ご本人達も同様だったようですね。活動自体も悩んだ末の決断のようでした。
応援してくれる人もいれば,「お前ら福島に住んでないくせに…」というネガティブな反応もやはりあったみたいです。
ご本人達も承知だったのですね。

でも,何もしないよりは,反感を買われるかもしれないが,なにかやれるのであればやってみよう,という行動はとても応援していきたいと思います。
インタビューでもあったのですが,「いま福島に住んでいる方々」と「かつて住んでいた方々」との間では,温度差や感情のしこりがあるのはどうしても仕方のないことです。
かといって,かつて福島に住んでいた人々が,応援したいあまりに仕事も家族も福島に戻すということは,今の時点ではある意味二次的な被害の拡大ともいえます。

いったん福島を出てきてしまったからこそ,いま自分達がふるさとに対して出来ることをする,そういう考えの方は,結構多いのではないかと思います。