2012年3月15日木曜日

日々の備忘録 64

1年経って(日々の備忘録64)

僕の伯父の家は南相馬市にあります。
昔は原町市といっていました。いまでも駅の名前は「はらのまち」と言っています。
伯父は夫婦で開業医を営んでいました。
震災の前年に伯母は亡くなってしまったのですが,その葬儀で南相馬に行ったのが震災前の最後の訪問となってしまいました。

太平洋に面していて,水平に続く海岸線。
子供のころは防波堤がまだしっかり作られていなかったので,波は結構荒かったですね。
海水浴で伯父と従兄弟達とよく泳ぎに行きました。

結構,貝の殻がたくさん落ちてるんですよ。
貝って意外と角が鋭くて,僕は小3のとき,足の裏を深く切ってしまい,伯父の病院で4針縫ってしまったことがあります。

しっかりした防波堤が出来てからは,波が穏やかになり,子供達を連れていくにはいい海岸だなと思っていました。
わが子達もいつか連れて行こうと思ってはいましたが。

・・・・・・


発電所が出来たので見学に行かないか,と当時祖父から言われたのだと思いますが,僕はたぶん小学校入学前くらいに,発電所の見学に行ったことがあります。
当時は,幼児に近い年齢だったし,団体ツアーのような催しで行ったので内容はほとんど覚えていません。

2回目に見学したときは,小5くらいだったように記憶しています。
このときは原町の伯父従兄弟達と,個人的なつながりのある方の紹介で,見学者は我々だけ。
普段のツアーでは見れない建屋内部などいろいろ見せてもらったように記憶しています。

もらった資料など,小学生にはなかなか難解だったのですが,後でゆっくり見たところ,発電方法には,三つあって,水力,火力,原子力,とあり,イラストでは原子力は火力の仲間のくくりの絵になっていたのを見て不思議に思ったものでした。
当時は,蒸気の力でタービンを回すというところ(要するに水を沸騰させてうんぬんのところが火力の仲間だというくくりなんですね)まで理解ができなかったからなのですが,子供心にも「なんかもっとすごいやりかたで電気を作ってると思ったのに,なんか拍子抜けだな」と,生意気にも思ったものでした。
ただ,案内の方が「この4基をフル稼働すれば東北6県,ぜんぶくらいの電気量がまかなえるんですよ」言われたのが印象に残っています。じゃ,発電所ってどんどん少なくしていけるのか。。。と,子供の僕には,資源が少なくなれば発電所も少なくて済むほうがいいんだ,と,当時はそう思っていました。
それにしても,ここ東北なのに,建物の看板とかみんな東京電力って書いてあるけどなんで?という疑問は,そのとき聞きそびれてしまったのですが。
子供にはそういう大人の事情は分かりませんでした。


発電の方法や原子力の是非については,僕なんぞに意見をいう資格はありません。

僕にとっては不勉強極まりないですが,最近になって土光敏夫さんの本を読む機会があり,さすが石川島播磨ご出身なだけに,タービンの件はもちろん,これからの日本の資源,産業その他の将来についてを語っている本がさくさんありますが,「清貧と復興」という著書で,原子力発電にもかなり熱く語られています。
すでにこの頃から,安全と危険と,それから導入後のリスクの分散についても頭をフル回転させていたのですね。

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