2012年7月8日日曜日

日々の備忘録 67

日々の備忘録 67


正直に言いますと,僕は原子力に対しては推進派でも反対派でもありません。
ただ,福島に住んだこともない,行ったこともない人々が,例えば福島をカタカナで表記された記事を投稿してみたり,放射能に関する記事(信憑性があるのかどうか不確定なところからリンクしてきたような)を投稿されたりすると,気が滅入るというか,自分の親や親戚が悪く言われているような,そんな不快感がある,というのが今の心境です。

いろいろなところで原子力発電の悪口が聞かれます。

ただ,一方で別の観点からの話をしますが,世の中で経済が好況という場合,なにか経済を刺激する時流の出来事があるはずなんですよね。
たとえば,ITバブルとかの後でブログのブームとかアフィリエイトのブームとか,ネット証券ブームとか,・・・
そういうのがあって一定期間,景気がよくなって,わっとそのフォロワーが生まれて,商売が生まれる,という感じですよね。
大昔は,戦争を行うことによりその後の復興景気があって景気がよくなるとか。

今から40年以上前に,たとえばこれからの日本の資源を考えると,石化燃料の発電よりもコスト・パフォーマンスに優れた代替物があれば,それを使おうじゃないか,という考えがあっても不思議ではないですよね。
それが原子力だったということですよね。
そこで,技術的には発電まではできるということが判明している。
燃料になるものも,まだまだ地球上にある,と。
ただ,その後の廃棄物の処理方法はまだ発展途上である,と。
でもこれから40年以上後の将来であれば,その頃は21世紀になってるだろうし,新たな技術も開発されているだろうから,今はとりあえず発電できるところまではやってみよう,と。
それで,今後の技術革新が生まれる度に,投資を呼び込んで,景気の発展につなげよう,と。

そういう考え方があっても不思議ではないと思います。
そう考えると,当時,原子力を思いついた人の功績は決して悪いものではないと,個人的には思います。
技術は絶えず進歩していくもの,と考えますよね。普通は。


ただ,21世紀になってもそこまで技術は発達していなかった,という点と,
その旨み(既得権とか)を独占しようとしている人々がいた,と。
そして,どうやら危険らしいんだけど,今の時点では不都合は感じていないので,まあ,まだ大丈夫だろうとちょっと慢心していたわれわれ国民と。。。

そう考えると,原子力を(原子力だけを)悪者にまつりあげるのって,なんか違和感があるんですね。

反○○,とか,脱○○,はいいんですが,その代わりに何をしていくか?ですよね。

自分が何もやっていないことを棚に上げて申し訳ないですが,

「○○でない」「Not ○○」
を証明するためには,
「○○ではないのであれば,△△である」とか
「○○と同じくらいの効果が,××には含まれる」とか何か対抗要件がないと論理展開できないですよね。

ただNoと言うのではなく,代わりに何をするのか,何を得るために何を我慢するのか,を考えるのが難しくでしんどいんですが,考えないといけないですよね。

「○○をやめます」「××をやめます」・・・
というないないずくしで,そういうマニフェストを掲げた政党が景気をよくしてくれたかというと,そうでもなかったというのはよく分かりましたし。
次に何をすべきなんでしょう・・・

言うだけは簡単なんですが。。。